kanariainko’s blog

悲喜こもごもな覚え書き

Your Song

朝からいいお天気

あの日もとてもいいお天気だった

病室の窓から新緑を通した木漏れ日が

室内を明るく照らしていた

 

夜中の破水から出産まで約5時間

仕事の都合で妊婦さんに人気の

病院とは距離や時間の兼ね合いが

つかずに通えず

どちらかといえば婦人病の治療で

知られている病院に通った

 

仕事優先で母親学級に一度も

顔を出せなかった

むしろ平日の日中に母親学級を

開催されてもそれに全て参加できる

妊婦さんは専業主婦か時間の融通が

きくような仕事をしている一部の

恵まれた妊婦さんしか無理に思えた

臨月近くの健診の時に会計を終えた

私に婦長さんが声をかけてきた

 

相談室のようなところに通され

母親学級に参加できない理由や

仕事のことなどを聞かれた

「事情はわかりました。でもね、うちでは

母親学級に一度も参加しない人のお産は

できません。なんとか参加してね」

そうはっきりと言われた

 

出産直前の母親学級に参加した時

それまでずっと参加してきた人達と

私の雰囲気は明らかに違っていた

それまで参加してきた人達は

なんとなくおおらかで幸せそうで

周囲から祝福され守られて

出産に集中できているような感じがした

きっとそれが本来の妊婦さんの

在り方なんだ思った

 

私は仕事優先で出産1週間前まで働き

出産1ヶ月で復帰した

時短勤務も育休もなく

フルで働いてから育児家事をした

あの頃の自分を思うと本当に

よく体力も気力ももったなと

感心する

 

ひとりで育てると奮闘しながら

思い起こせば本当に色々な人に

助けてもらった

職場の人達も折に触れてこどもの

ことを気にかけてくれた

パパの愛情は知らなくても血も繋がらない

周囲の人たちからの優しさや思いやりや

親切に娘は包まれていた

こどもも私もあまり孤独や寂しさを

感じずに過ごせたのは本当に

周囲の人達に恵まれていたからだと

いまも感謝している

 

こどもは一度も

「パパは?」と聞いたことがない

私は聞かれたら全てを正直に話すと決めていた

自分の選択が正しかったかは分からない

でもこれが最良の方法だと思う方を

たくさんたくさん考えて選んできた

正しかったんだと思えるように

するしかないとずっと思ってきた

 

起きてきたこどもに

お祝いの言葉をかけると

ラジオから流れてきた曲はユアソング

ラブソングとして有名な曲

 

How wonderful life is while you’re in the world

その歌詞に涙が出た

私のところに生まれてくれてありがとう

 

恨みの感情

自分の心が真っ黒になってしまっている

その原因も分かっている

 

その真っ黒な心が体内に充満して

ついに溢れだした時

 

私はあることをした

そうしなければ自分の方が

壊れると思った

 

結果は効果があった

そうなればいいと願っておきながら

まさか、本当に?と思った

 

だから間をおいて

もう一度してみた

 

また効果はあった

ケガや体調不良が続いて

通院する様子を見ていた

 

偶然と言えば偶然

でも偶然が続けばそれはもう

ただの偶然とは言えないのではないか

きっと効果があったのだ

 

そう思い込みたいほどに

追い込まれている

そう思い込まなければ

やっていられないほどに

抱えきれない思いが

体内をぐるぐるしている

 

こういう時

ほかの人はどういうふうに

感情を処理するのだろう

 

ちょっとさきの未来の楽しみを考える

たとえば好きな事だけ一日して過ごすとか

そんなことくらいしか思いつかない

誰のことも恨まずに生きていけたら

いいのに

 

おばあちゃんのこと

 おばあちゃんに相談にくる人の

内容は様々だったけど私が

印象に残っているのは人探しだ

 

探したい人の住所・誕生日

名前を聞きそれを手がかりに

石神様に様々な聞き方で

きいてみる

時間としては1組の相談者につき

15分前後という感じだった

 

石神様を通して分かったことを

相談者に伝える

残念ながら明確に伝えることが

できない時もある

それは最悪の事態の時

その時は何をどう聞いても

分かることは見えにくいようだった

 

それ以外であれば

方角を伝えその方角で

更に詳しいところを

分かる範囲で伝える

すると後日相談者から

お礼の連絡が来る

 

尋ね人だけではなく

探しものや縁談、就職や受験など

相談されたことでみえることは

そのままを伝えていた

 

それからおばあちゃんが

「今誰か来た」というのに

誰もいない時は「挨拶に来たんだね」と

言っていた

すると訃報の知らせが来るのだ

いない人がそこにみえるとき

その本人が別な場所でケガをしている

こともあった

 

小さい頃からそんなことを普通のこととして

生活していたからどこのおばあちゃんも

そんなふうにみえるし、わかるものだと思っていた

 

中学になり何かの話の中で友達のおばあちゃんは

そういうことはできないと分かった時は驚いた

でも同時にうちのおばあちゃんみたいな存在を否定したり

嘘つき呼ばわりする人がいることも知った

だからそれ以降おばあちゃんを否定されるのが悲しいから

おばあちゃんのことは話さないようにした

 

みえる範囲

おばあちゃんに相談をする人が
我が家にはよく出入りしていた
ネットがなかった時代だから
口コミで人が訪ねてくることもあった

おばあちゃんは自分が
今やっているようなことを
孫の中で誰が継げるようになるかを
時折口にしていた

私が小学生になった頃
おばあちゃんは
相談者が来たら部屋にいて
ばあちゃんのやり方を
見ていなさいと言った

おばあちゃんと相談者の
やりとりを見ながら
小学校高学年になった頃
私はおばあちゃんにずっと
抱いていた疑問をぶつけた

そんな風に色々なことが
分かるなら私を含めて
家族のことも分かるんでしょ?

おばあちゃんは笑って答えた

そうだよね、そう思うよね
それがね、自分のことや
家族のことは分からないの

それから真面目な顔になり
説明してくれた

自分や家族のことになると
「こうだったらいいな」とか
「こうでありますように」とか
希望や願いが念に入るから
まっさらな気持ちでいられないから
見たいものしか見えなかったり
自分に都合がいいように
歪めることがあるから

そっか、そういうものかと
納得した

老いを見守る

母からの電話

親からの朝早い電話に焦るような
心持ちになるようになったのは
それが親の老いを感じさせるものが
何度かあったから

電話をもらい車をとばして
駆けつけると救急車の
サイレンが近づいてきて
同乗し病院へ向かう途中
救急隊員の方に昨日の様子や
食べた物を聞かれても
答えられない自分に
その時に気がついた
すぐ駆けつけられる距離にいるのに
私は親のことをいざという時に
何も知らないのだと愕然とした

その時から親には
週に何度かは電話し
1週間に1度は家に
行って様子を見ることにした

幸い今日は緊急性はなく
日曜日も診療している
病院を探して受診した

おばあちゃんが倒れてから
亡くなるまで何度か
危篤の知らせを受けて
病院へ駆けつけた
その都度駆けつけると持ち直し
それを繰り返して何度目かの時に
駆けつけるとおばあちゃんは息を
引き取っていた

葬儀が全てすんだ時に
「おふくろは何度も危篤になり
持ち直してそうやって家族に
心の準備をさせてくれたような
気がする」と父が呟いた

自分の親の老いを
近くで実感していくのは
正直辛いし悲しいし
なんとも言えない不安な
気持ちになる

でも突然逝かれるよりは
ずっといい

不公平に思うこと

人に仕事を丸投げしておいて

自分は就業時間中にも関わらず

動画視聴や私用での外出をしまくる

 

せめて資料だけでも目を通しておいたほうが

よろしいかと思います

 

差し出された資料をいやいや受け取り

 

渡されてもどうせ見ないよ

めんどくせぇ

 

はっきりと言ってのける

 

無能だからからやきなのか

からやきだから無能なのか

ごますりとおべんちゃらだけで

上のポジションについたものだから

真面目に仕事をこなす人間や

能力がある人間は目の敵のようにして

業務をどんどん押し付けてミスに

追い込み潰しにかかる

心が病む原因を作っておきながら

もともと精神疾患持ちだったんだろう

とあることないこといいふらす

一切仕事はせずパワハラセクハラを

くり返し外部からのクレームはもみ消す

 

真面目に仕事をしているのに

コロナ禍で失職したり収入が

激減した人たちが大勢いる

 

それなのに

仕事をしない給料泥棒は失職もせずに

今日ものうのうと生きている

 

世の中不公平だなと感じる

 

 

 

 

 

 

 

仕事と約束

朝から今日は作業が多いのに
夕方のzoom会議もあり
定時にあがれるか不安になった

今日はこどもと約束がある日
仕事でキャンセルや遅れても
きっと「仕方ないね」とすんなり
諦めてくれるのが分かるからこそ
絶対にキャンセルや遅刻はしたくない

わがままを言ったり
駄々をこねたりして
私を困らせたことがない

きっとそんなことしても
仕事優先されると
諦めてるのだと思う

定時少し前に会議が終わり
それでも色々話足りない人達は
話し合いをしている中
後片付けと挨拶をして
約束の場所に向かう

途中でこどもに向かっていると
伝えるためにラインをする
「仕事でダメかなと思ってたけど
今日は大丈夫だったね」
車に乗り込んできたこどもは
嬉しそうにそう言った

約束を守れないことがあるのは
仕事の方が大事だからじゃないよ

そう言う私にこどもは
黙って頷いてくれた